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September 10, 2008

青写真判決

かの有名な判決が覆ったそうだ・・・区画整理の事業計画決定は、単なる青写真に過ぎず個人の権利や利害を侵しているとはいえないという判例が、数十年ぶりにNOとなったということである。

人口減少時代の都市計画にあって、必ずしも土地の値段が右肩上がりではない時代、死に体であった区画整理事業というまちづくりの手法は、トドメを刺されたも同然である。

郊外に広がった街は、やがてドーナツ化して、中心市街地の再生に向かい、限界村落が生じた・・・拡大成長から安定成長、バブル、スマート・グロースへ、スマート・シュリンクなんて概念も出てきた。

郊外の街はコンパクト・シティを目指したが、やっぱりお金が掛かり過ぎる。市町村の合併も一段落して、福田内閣の所信から、ソフトな「定住自立圏構想」を打ち出したばかりだが、どうなることやら。

かつての「美しい国づくり」のように、立ち消えてしまわないか心配である。もっともベットタウンの証である昼夜率0.7の流山市は、自立できていないので、構想には引っ掛からないのであるが。

どこへゆく都市計画、まちづくり、時代と政策の狭間に揺れる我々である。

投稿者 spock : September 10, 2008 11:02 PM | トラックバック
コメント

ゑゑと、よくわかりません。

区画整理事業の計画があって、妥当性を判断するのに、もう殆ど工事するだけの段階にならなければ裁判を起こせない過去の判例の方が無理・無駄だと思ゐますが。
そもそも、裁判を起こされるくらいごねる話なら、行政としても大手を振って、そんな土地は放置しとけばいいのではないでしょうか。
まちづくりやに、そんなことを言えば唖然とされるのはわかって言っておるんですが(w
行政としては、何やってもごねられるんだけど、そうもいかないんだろうねえ(w

Posted by: へろそ : September 11, 2008 10:24 AM

たしかに青写真判決は、筋の通らない判決かもです・・・でも、司法と行政は独立してますからね・・・それが通例というか、前例、判例なんです。

何をやっても100%の了解は得られない、数百人から数千人居る権利者を相手に事業をしているんですから、当然です。でも公共のため、福祉のためという大義名分を背負っているから、引下れないところもあります。

特に区画整理事業なんて、土地の権利をいじくって、交換しちゃうんですから、不可逆性の最たる事例だと思います。

だからこそ、最終段階の行政処分の時に初めて訴状を出せるということじゃなくて、最初に100%の理解を得ておかないといけない・・・でも100%の了解は・・・と最初に戻ってしまいます。

で、今回は、事業計画決定の段階で、処分だと認めるんだから、訴えを起こせるのですが、最初にそうなると、事業そのものが進まない、立ち行かないという事態に陥るでしょう。

最初であれ最後であれ、最終的には、100%の理解がなければ、ことは完了しないのですから同じことなんですが(まれに強制代執行という強権がありますが)、ものごとの初めから、ストップするようでは、到底うまくはいかないんじゃないかと。

Posted by: Spock : September 12, 2008 12:58 AM
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